2018.07.02

ConTECH.café

BCPって、トイレだ!

銀座通りに公衆トイレはない!? 知ってた?

ある日、新橋の銀座8丁目から京橋の銀座1丁目まで、銀座通りを「銀ブラ」した。何の目的なしの、単なる気まぐれで。4丁目交差点のあたりで尿意を催した。

勝手知ったるエリア。銀座三越に銀座松屋、教文館に山野楽器。行きつけ(?)の選択肢はいっぱいある。すっきりし、京橋の警察博物館の前について、ふと思った。「そう言えば、銀座通りには公衆トイレが見当たらなかったなぁ」…そして、「3.11の時、そこにいた人たち、トイレどうしたんだろう」、「昭和通りとか大きな商業施設のないオフィス街を歩いていた人たちはどうしたんだろう」と。

私の脳裏には、あの日の夜、歩くしかすべのない「帰宅難民」となった人たちの無言のままの大行列と、まったく動かない車の大渋滞の映像がまざまざとよみがえる。私の場合は幸運にも仕事場から数十分で歩いて帰れたが、すれ違う人々のいつもとは明らかに違う不穏さ、いつもと比べ格段に暗い街灯の明かりを鮮明に思い出す。テレビを見つめながら、「トイレ、大丈夫かなぁ」と独り言ちたことも憶えている。

後で調べると中央通りから脇に入った2丁目と6丁目、そして5丁目の数寄屋橋公園内の3ヶ所にあることがわかった。 

1日平均で250グラム、1回コップ1杯分相当。

3.11以来、経済紙やビジネス誌だけでなく一般紙やテレビの夜のニュース番組などでも「BCP」という略語をけっこう目にするし耳にする。門前の小僧習わぬ経を読むの伝よろしく、こういったビジネス用語に疎い私でさえ、Business Continuity Planの略語で、日本語では「事業継続計画」。地震などの不測の災害によって生じるオフィスや工場・店舗の被害、サプライチェーンなど流通網の寸断といった事業中断状態を、どう短期間で再開するかの全体的な準備計画であるという程度には理解している。

しかし、この概念をよくよく考えてみると、ビジネスに限定するのは、なんだかおかしい気がする。会社だけではなく、社会が、それを構成する市民の日常がいち早く戻らなければ、経済活動はいままでのように回りっこない。本来は、Life Continuity Planといったものがまず大前提にあってこそ、BCPも健全に機能する。ちょっとエラソーな物言いだけど、そう思う。

そして、そのLCPの最も根幹をなすのが「排せつ」への対応だと思う。つまり、トイレである。われわれは、1日1回あたり約250グラムの排せつ物を出す。1日数回、数日に1回、1週間に1回とか個人差はもちろんあるが、平均だいたいそれだけ出している。小用ならば、1日に4~7回。1回あたり10~30秒かけて150~250ミリリットル出している。トータルで牛乳パック1~2本分の1~2リットルになる勘定だ。

そうした人間が、たまたまある場所に居合わせ、たまたまそこで被災する。自然現象である限り誰しもがとうぜん便意は催す。しかし、その時は、いつもの日常ではなく非常時なのである。限られたトイレの数、それを待つ長蛇の列。体調を崩す人が出て、イライラが高じていさかいも起こる。そうした人間の最も動物的な生理的クライシスをどうクリアし、袖触れ合うも多生の縁と人間的な秩序を回復するのか。その具体的道筋を示せて初めてLCPは意味を持ち、BCPという器に魂が入る。

BCPを「絵に描いた餅」にしない。鍵は「コミュニティ」だ、たぶん。

震災後、被災した人々や企業、学校、役所、病院など組織が極力混乱せず落ち着いて行動し、いつも通りの平常心で種々の活動を日常化するための具体的な行動指指針。それが、BCP。つまり、ビフォー→アフターでなく、アフター→ビフォーを前向きに検討する実践的な思考なんだ。

「コミュニティ」。これがBCPを成功に導く鍵のような気がする。要は、「近所づきあい」のような赤の他人ではない、互いに顔を見知った、ある程度気心の知れた、そうした自助と共助のもととなる関係性をどれだけ築けるかがキモだろう。

万が一は、もう目前まで迫っている。その未曾有の試練は、1.17、3.11からきっと多くを学び反省した私たちなら、寺田寅彦先生の教え通り「正しく怖がる」で、必ず乗り越えられるはずだ。

試練を、英語ではwell-triedと表現する。善き挑戦。さぁ!

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト
参照資料