2019.11.18

ConTECH.café

先生はAI。それ、ウェルカム?

VS.人間で語るものなのだろうか

「自然は先生」とか「自然から学ぶ」という言い方をよくする。

地震や津波、台風に川の氾濫に土砂崩れ、そして、火山の噴火。そのたびに、われわれは多くの教訓を学び、「災害は忘れたころにやってくる」と忘れっぽい人間の性をも加味した知恵を肝に刻んできたはずだ。それなのに、自然災害のたびに、さらなる難問を容赦なく突きつけられる。そりゃそうだ。ある面で自然を支配したつもりの、謙虚さと畏敬の念を忘れた傲慢な人間には、手加減しない鞭をピシャリ!もっと学べ、もっと考えろと。

しかし、その鞭は、あくまでも愛の鞭なのである。春の笑っているような緑や花々、宝石箱のような秋の紅葉を見れば即座に納得できる。やはり、自然は偉大だ。いつまでも先生であり続ける。

一方、AIとなると「先生」扱いするのに拒否感があるようだ。

IBMのコグニティブシステム「ワトソン」を見るまでもなく、がんに関してだけでも約2,000万の論文を学習するなど、そのディープラーニングの圧倒的な質量により、病気の診断では、いまやデファクトスタンダード化している。世界が認める名診断医である。

そもそも、「自分以外みな先生」という格言を好み、あらゆるものに神を認める八百万の神々の感性をどこかに脈々と持ち続ける日本人にとって、機械とか道具といった無生物・無機物も当たり前に尊敬する心性がある。例えば、針供養。針は、自分の裁縫の腕前を上達させてくれた師匠であったがゆえに、ありがとうございましたとその恩に頭を垂れるのだ。

なのに、AIには、そうした感覚を起点にした論は少ない。とにかく、スゴい!礼賛一色か、仕事を奪われるぞ、気をつけろ!の両極端に二分されているように見える。

『徹子の部屋』に出演したら

阪大の石黒浩先生が、黒柳徹子そっくりのアンドロイドtottoを引き連れて出演した。2017年10月20日のことである。

同番組の42年分の会話データをもとに音声とトークを合成した自律会話システムを搭載。あっちこっち予測不可能な黒柳徹子の「芸人泣かせ」と言われる奔放すぎるトークが本人と掛け合いで展開されたらしい。もっと知りたい方は、石黒浩、徹子の部屋で検索すると、なかなかインパクトのある3ショットを見ることができる。totto公式ウェブサイトも面白い。

では、黒柳徹子と丁々発止、談論風発できる、いわば「雑談」型AI搭載アンドロイドは可能なのだろうか。雑談の醍醐味の、縦横無尽に話が転がり、パン生地のようにふくらみ、とんでもない地点にたどり着く、その予測不可能なワクワク、ドキドキ、ゾクゾクが実現できるのだろうか。

人間には、成長があり、成熟がある。老成し、枯れることもあれば、こどもに帰ることもある。味わいも出てくる。座禅を組み、瞑想し「無になる」ことを理想とする。サボるし、ズルもする。何も考えずボーっとすることを至福と感じる。まったりとかほっこり、ゆるゆるやゆっくり、ほどほどに、ふつうにということにも価値を置く。沈みゆく夕日にこころが震える。公園で走り回る保育園児にウルっとくる。忖度もするし、共感もする。etc.etc.

一方、AIは、成長し、進化しつづける。しかし、つねに前をキッと見据え、前向きに勉学に励む才気煥発の好青年のままである。衰え知らず。純粋無垢。反抗期や思春期に該当するフェーズはあるのだろうか。寄り道や道草など無縁に、まっすぐな一本道のど真ん中を、最短距離、最短時間で闊歩する。どうしても霞が関の官庁街や大手町のビジネス街を自信満々の顔つきで胸を張ってカッカッカッと大股で歩く人たちとダブる。

今西錦司の「棲み分け理論」にヒントがある(ような気がする)

シンギュラリティ。なんとなくだが、わたしには、来ないような気がする。互いに長所を認め合い、短所や欠点は補い合い、役割分担がなされ「共生」していけると思うのだ。

日本に「生態学」という学問領域を切り開き、動物学に社会学の視点を取り入れ、人間探求の学としての「サル学」を日本が世界に誇るお家芸にした今西錦司。『知的生産の技術』『文明の生態史観』で有名な梅棹忠夫のお師匠さんだ。

加茂川でのウスバカゲロウの観察を通して競争・競合のない「棲み分け」を発見し、ダーウィン進化論のキモである自然淘汰、それを支える適者生存・自然選択では進化は説明できないとキッパリ批判。賢いアリ、愚かなアリがいても踏みつぶされるときは一緒で、どんな個体であっても「たまたま運がいい」のが生き残るようになっていると言い切った。

わが愛読書の奥野良之助『金沢城のヒキガエル 競争無き社会に生きる』(平凡社ライブラリー)でも、9年間で計1,526匹を観察した結果、「きびしい競争原理が働いているとは思えない」と書いている。左脚のないオスは7年も生き、ちゃんとメスを見つけていたと。

わたしが言いたいのは、AIは、競争相手ではない、ということだ。支配する・されるものでもない。この時代、この場所で、このいまを共に手を携えて生きるパートナーであり、共に教え教えられ、支え支えあう「お互い様」の隣人関係にある。そう思う。そう、思いたい。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト