2021.07.26

ConTECH.café

農業は、史上最大の詐欺!?

『サピエンス全史』は言う。妄想力、バンザイ!

『サピエンス全史』(2016年 河出書房新社刊)をようやく読んだ。ユヴァル・ノア・ハラリ、1976年生まれのイスラエル人歴史学者。ベースはヘブライ大学での講義ノート。人類250万年を4部構成・全20章の上下巻600ページで壮大な「物語」として明快に語り尽くす。半端ない知識の量。それらを見事な配置で、その物語を自由自在に躍動させる。

翻訳がよくこなれていて、晦渋さは感じない。見晴らしのいい高台に出て、360度のパノラマに息をのんだ。

「…歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前に歴史を始動させた認知革命、約一万二〇〇〇年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五〇〇年前に始まった科学革命だ」と本書は始まる(この前にある文章も物理学、化学、生物学そして歴史の目からうろこの定義だ)。この三つの革命が、東アフリカでほそぼそと暮らし「サバンナの負け犬」だった我々の祖先だけが食物連鎖の頂点に君臨し、文明を築いた理由を解き明かす。

その最初の認知革命で獲得した「虚構」能力、つまり「妄想力のおかげ」で今の我々があり、国家も法律も宗教もその産物に過ぎない。ガツンと一撃を食らった。すべてが、みんなが信じるから成立する「想像上の秩序」なんだと。そして、究極の虚構である「貨幣」が生み出され、「最強の征服者」として世界を支配していると。

卓見だ!と唸った、第2部の農業革命。

狩猟採集民が採集した野生のコムギの一部がたまたま零れ落ち芽を出していたのを見て、自分たちで種子を蒔いて育てれば安定的に食料が得られると気づいたことで農耕が始まり、生活が革命的に豊かなものに激変し、繁栄への大きな第一歩を踏み出した。

『Newton』2019年1月号の特集「サピエンスのすべて ヒトが人になるまで」の農耕の始まりの箇所をハイライトするとこんな感じ。これが遺跡調査からも明らかになった一般的な理解だ。

ハラリは、それは王や貴族だけに言えることだとキッパリ。農民の視点に立つと、長時間労働を課せられながら、その見返りの食料は劣悪。つねに飢餓のリスクがあり、栄養状態もそんないいいわけではなく、そのうえ貧富の差が生まれるはで、ちっとも幸福になっていないと。ゾクッとした。つまり、農民は、「史上最大の詐欺」にあったのだと。

加えて、小麦の視点に立つという驚きの見方を披露する。

「現在地球上で最も繁栄している生物は人類ではなく、小麦である。小麦自身が何もしなくても、人間が勝手に育てて世話をしてくれる。まさに人類は小麦の奴隷になった」。

つまり、「小麦が人間を家畜化した」と。最終勝者は小麦だったのだ。ガーーーン。

ひとりブレーンストーミングをしてみた

唐突に、脳内の連想ゲームスイッチがオン。往々にして優れた本は、読者のイマジネーションを活性する。いままで考えたことのない視点で考えてみる。すると、目の前の光景は一変。ダメだと思い込んでたことにも、可能性の道筋が見えてくる。まさに脳活だ。わたしの場合、何かで読んだ「木材会館」(2009年完成 江東区木場)の設計者、山梨和彦さんの設計秘話を思いだした。

「木は燃えやすい。それは長年にわたり建築家の可能性を狭めてきた固定観念に過ぎない」

木材会館は、内外装や構造に、ヒノキやスギなど9種類の、材木屋でふつうに手に入る木材を使い、その9割がなんと不燃加工していない無垢材。それが可能になったのは、ハラリ流に言うと、山梨さんが「木の立場」になって固定観念を見事にリセットしたことによる。避難安全設計法(恐縮ながら検索よろしく)が求める「不燃と同様の安全性を証明せよ」という厳しい内装制限をクリアし、ふんだんに木のある空間が日の目を見たのだ。

サピエンス全史に戻る。ハラリは、こうも言っている。

「今日、豊かな社会の人は、毎週平均して四〇~四五時間働き、発展途上国の人々は毎週六〇時間、あるいは八〇時間も働くのに対して、今日、カラハリ砂漠のような最も過酷な生息環境で暮らす狩猟採集民でも、平均すると週に三五~四五時間しか働かない。狩りは三日に一日で、採集は毎日わずか三~六時間だ」。

ホモ・サピエンスは、その歴史の95パーセントを、狩猟採集民として生きてきた。基本、いろんな動物の肉や魚貝、それに木の実、キノコなど多品種少量摂取の食生活なので、栄養バランスもすこぶる良好。身体も、木に登ったり、ガゼルを追いかけたりするように適応していた。ちなみに古代の骨格からは、農作業によって、ヘルニアや関節炎を患うようになっていたことがわかるようだ。

「手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より良い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった」。

わたしが、弥生人よりも縄文人に親近感をおぼえる理由を、わかったような気がした。

『サピエンス全史』の副題は、「文明の構造と人類の幸福」。「私たちは何を望みたいのか?」でこの大著は終わる。「私たちは何になりたいのか?」なのではない。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト