2021.02.08

ConTECH.café

仏教的無常観だけではない『方丈記』のおもしろさ

鴨長明の結論 「サステイナビリティ?そんなものは、ない!」

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし」

この有名な『方丈記』の書き出しは、変わらないように見えても、この世の中に変わらないものなどなく、すべては常に変化していて、やがては滅んでいくという仏教の根本思想である無常観を川の流れや水の泡で表していると古典の時間に教わった。しかし、その後、なにを語っているかになるとおぼつかないはずだ。現代語訳では、「美しく華やかなこの京の都には家々が軒を並べ、屋根の高さを競い合っている。どの家も、長い年月を経ても永久にそのままであるように見えるが実は、昔あったままの家は極めて稀である。なのに、この悠久の歴史の流れの中で、束の間の仮の宿である住まいを、誰のために飾りたて、それを眺めて悦に入るのか、まるで世の中の無常を競っているようで私にはどうも理解できない」とつづくのだ。これって「住宅論」じゃないのか。それも相当にへそ曲がりの。

そして、23歳のときの都の3分の1が消失した安元の大火では、人間の行いはおしなべて愚かなものだが、その中でも、これほどまで危険極まりない京の都に家を作ろうとして、財産をつぎ込み、いらぬ心配に神経をすり減らしている。これほど馬鹿馬鹿しいことはあろうか。そんなことに私は何一つ価値なんか認めない、と締めくくる。

みんなが標榜しているからやっている「横並び」サステイナビリティ、SDGs、BCP。そのお題目三唱をとりあえずしている層への一喝と深読みせずとも読めてしまうのだ。

「ニューノーマル」の心構えのツボは809年前に示されていた

50歳を過ぎて失職した鴨長明は、53歳のとき都から遠く離れた日野の山中に引っ越し(まさにソーシャル・ディスタンス!)、住宅論の実践として一丈(3メートル)四方の庵を結ぶ。いまで言うところのモバイルハウスだ。あるいはタイニーハウス。ある意味、テレワークは地方でも十分成立することに気づき地方移住を考え始めたテレワーカーの先駆事例とも言える。大好きだった琵琶と和歌は生涯にわたって捨てることなく磨きをかけた。途中、源実朝から鎌倉幕府の役人への誘いがあるも、あえなく面接で落ちる。俗っ気が抜けていないところなんて実に人間臭い。そこでの5年の思いを綴った方丈記。三途の川へ向かおうとする58歳になっていた。4年後、生涯を閉じる。

心を苦しめつづけている無常から解放され悟りを開きたい。そうした純粋な仏教的信心がここに来させたのだが、その暮らしぶりは孤独でも堅苦しいものでもまったくない。

庵には阿弥陀様の絵像を掛け、脇にも普賢菩薩の絵像を飾り、前には法華経を置く。和歌や管弦の書物、往生要集の抜き書きなどを3個の籠に入れ、琵琶と琴も立てかけてある。

もし念仏が面倒くさく、経を読むのに本気になれないときは、自分から休み、自分から怠けると素直に書く。要は「それ、三界はただ心ひとつなり(そもそも、世界はただ、心の持ち方一つである。心一つで、いくらでも幸せに生きていける)」。ニューノーマルの心髄は、これに尽きるように思う。

鴨長明と名もなきエンジニアの志

『方丈記』は鴨長明が23歳から31歳までに体験した5つの厄災の災害ドキュメンタリーでもある。31歳のときの元暦の地震の件の末尾が、今回のコロナ禍で重く甦る。

「人みなあぢきなきことを述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけていひ出づる人だになし」。人間なんて、どうせすぐに忘れてしまう。今回のことも、そうなるのだろうか。

厄災を前に、鴨長明のように人間の卑小さ、有限性を達観した生き方を選ぶ人もいるだろう。他方、そうであってもなお人間の可能性を信じ、知恵と努力で厄災を乗り越えようと奮闘している人もいる。今般の医療従事者しかり、地震を始めとする自然災害発生時の建設事業者しかり。関東大震災の3日後、清水建設は営業を再開した。「建設業者として非常時にこそ奉公せよ」の号令のもとに、大小480件の復旧を行った。さらに今でも、構造物の床と対象設備との間に摩擦材を入れた部材を設置することで対象設備を免震化できるシステムや、地震時に生じる高層ビルの長辺方向と短辺方向の2方向の揺れを抑制できる屋上設置型の制振装置など、続々と新たな免震・制震技術を生み出している。現代の建設エンジニアは、いかなる地震でも全く揺れない建物を夢見て、日々技術を磨き続けている。

アフターコロナのニューノーマル社会、諦めるのか、諦めないのか。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト