2021.03.08

ConTECH.café

キーワーカー考

そうか、そうでないかの単純化にひっかかる

「エッシェンシャルワーカー」。医療・福祉従事者、警察官、消防士・救急救命士、郵便配達や物流、公共交通を担う人たち、スーパーやドラッグストアで働く人たち、ゴミの収集をする人たちなど現場・現業部門の社会機能の維持のために働く生活必需職従事者をそう呼ぶと知ったのは自粛下だ。とうぜん橋や道路などインフラや公共施設の工事に関わる人たちもステイホームできないエッセンシャルワーカーだろう。

絶対必要な本質的仕事の従事者。そうでない仕事の従事者。その単純で一見わかりやすそうな二分法にひっかかり、実業と虚業という二分法も思い浮かび、どうも釈然としない。なので、以下、欧米で一般的で、意味が一義的な「キーワーカー」の方で書いていく。

そう言えば「大した仕事」という言い回しもある。たいへん優れた立派で重要な仕事。キーワークの日本語訳になる。あとに打ち消しを伴って「大した仕事でない」とも言う。どうってことのないごくごく凡庸な仕事。自粛期間中よく見たワイドショーのコメンテーターの大半が、語弊を恐れずに言うと、大した仕事はしていなかった。新聞記者や外科医に芸能ゴシップの感想を聞いてどうする?それにもっともらしく答えてしまうのもどうかだが、不要だと言いたいのではない。むしろ、いたほうがいい。

それが職業多様性だと思う。そんな社会の方が重層的で面白いに決まっている。詐欺師とか地面師は税務署も認めない虚業だが、そのうさん臭さといったものは、社会のニュアンスと言えなくもない。

職業に貴賎なし。「一点の曇りもなく」そう思える?

今回のコロナ禍(本来は神仏がもたらすのが禍らしいが)では、キーワーカーと持ち上げる一方で、心ない誹謗中傷や差別がどす黒く噴き出した。陽性患者を受け入れる病院の関係者には各所から「来ないでくれ」とあからさまに言われ、納豆がなぜ1個しか買えないのかとスーパーの店員にくってかかるじいさんを間近で目撃した。

パチンコ店や「接待を伴う」(いやな言い方だ)飲食店、開店せざるをえない個人商店は自粛警察(これも民主主義社会とは思えない)のかっこうの標的。「隣組」は死語になっていなかった。歌舞伎町や池袋は解除後も「夜の街」と汚いものを指でつまむような言い方をされる。キーワーカーか、そうでないかの二分法がはらむ分断と残酷。職業に貴賎なしと、ほんとうにキッパリと言いきれるのかと自問する。

ニューノーマルの中でのキーワーカーを考える

振り返って見ると、技術の進化がニューノーマル社会を支えている。スマートデバイスが発売されて間もない10年前なら社会はどうなっていただろう。2000年問題で騒いでいた20年前、インターネットが普及し始めた25年前、ようやくパソコンが普通に使えるようになった35年前なら、悠長にニューノーマルなんて言っていられず、ただただカオスが広がっていただけのような気がする。

ソーシャルディスタンスを保ったまま生活できる技術と社会的な仕組みが整いつつある現代だからこそのニューノーマルであり、キーワーカーのあり方も日々変化していくのだろう。

身近なところではスーパーやコンビニではセルフレジが増え、エコバッグの推奨も相まって行動様式が一変した。これまでキーワークと思われていた決済周りの作業が利用者に委ねられたことになる。また、自律型の清掃ロボットや自動運転による無人搬送の開発も進んでいる。工事現場もロボットと協働して作業に取り組む時代となり、キーワークのひとつである搬送作業をロボットが行うことが可能になってきた。そうなってくると作業そのものから、ロボットの作業を管理・指示することが今後の新たなキーワークとして生まれてくるのではないか。

不可能と思われていた在宅勤務も今や日常となり、重機の遠隔操作=テレワーク化なども5Gにより拡大・加速している。

結局、無職も含めみんながみんなを必要としている社会が健全だ

昨年3月18日の独メルケル首相のテレビでの国民への語りかけ。真っ直ぐ国民を見つめて、開口、第二次世界大戦以来の試練と語り、来る日も来る日も最前線に立つ医療関係者を労った。「さてここで」とひと呼吸置くと「感謝される機会が日頃あまりに少ない方々にも謝意を述べたい」と、買い占めや品切れに翻弄されるスーパーの売り場の人たちに「社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます」。わが国のリーダーからは「国民に寄り添った」(お気に入りみたいだが)メッセージを聞くことはついぞなかった。

イタリアでは住人がベランダから病院に向かって自然発生的にみんなで合唱した。音楽という旨味成分を日頃から摂取しているだけあって、みんなで歌うことが仲間の気持ちを鼓舞することは集合知なのだ。

そう言えば日本でもかつて、みんなで歌いながら労働した。農民や漁師に木こり、馬追、杜氏、そして、さまざまな普請で大工や鳶、土工たちが。追分節、馬子唄、炭坑節、ソーラン節、木遣りなどが、その当時の気分を伝えてくれる。

キーワークを引き継いだロボットやAIたちと一緒に歌でも歌いながら働くという未来もなかなか面白いに違いない。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト