清水建設×日本SF作家クラブ
建設的な未来

清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。

第4話は伊野隆之さんの『ルナからの帰還』です。お楽しみください。

第4話
ルナからの帰還
伊野 隆之

父の葬儀が終わって、やっと一息ついたところだった。私は夫の直哉と一緒に瑠那を連れて、実家の近くの公園に来ていた。

郊外にある公園には大きな芝生の広場があり、刈り込んで間もない芝のにおいを嗅ぐと、私はいつも父のことを思い出す。芝に広げたシートに横になり、まだ明るい空に浮かんだ月を見上げて、父は自分の仕事の話をしてくれたものだ。

父の仕事はレーザー照準システムの開発だった。それも、38万キロも隔てたターゲットを捉えるためのシステムで、何十キロも先から咥えたタバコの先に火を付けるようなもんだ、って、スモーカーだった父は言っていた。

「ママ、ユージーンおじさんのところに行こうよ」

私と瑠那から少し離れた公園のベンチで、直哉が、父の葬儀のためにわざわざロシアから来てくれたユージーンと話をしていた。以前は地方大学の准教授だったのに、いつの間にかロシアを代表して国際会議に出席するような立場になっている。

「ええ、そうね」

私は気のない返事を返す。長い間病床に伏せっていた父は、最後に月が見たいと言った。空には雲一つ無かったが、まだ月は見えていない。

「ねえ、早く行こうよ」

瑠那は、ユージーンに懐いていた。ユージーンの方もまんざらではない様子で、時間がある時は瑠那と遊んでくれる。

瑠那の小さな手が私の手を引く。瑠那はまだ九歳。でも、私の手を握る瑠那の手は、意外と力強い。

そろそろ話をしてもいい頃かも知れない。私と、ユージーンがどうやって月から帰ってきたかという話を。

 * * * *

「やっぱり、地球のオペレーションセンターの計算結果も同じだったよ。酸素はあと三週間分しかない。それに出迎えの準備には最短でも半年はかかるそうだ」

暗い声でユージーンが言った。

私とユージーンは、地球を頭上に見上げるルナリングの月面オペレーションセンターにいた。

「予想通りね」

私は、ユージーンに素っ気ない言葉を返す。月の岩石から酸素を作る装置の不調を見つけたのは私だった。月の岩石を溶解し、酸素を取り出すための溶媒が劣化し、装置そのものにダメージを与えていた。

「ユズは出迎えが来ないのも予想してた?」

ユージーンは私をユズと呼ぶ。三音節の柚葉という名は発音しづらいのだ。

「そんなに急に準備できるようなものじゃないもの」

ルナリングは、元々、無人でのオペレーションを前提に作られている。月への移動手段は必要な時にしか用意されないものだった。半年というのも、相当無理をしなければならないだろう。月に人を送るのは、今だって簡単ではない。

私たちは、あと一年三ヶ月の滞在を終えたら、自力で月から戻る予定になっていた。帰還のための船と燃料はある。足りないのは燃料を燃やすための酸化剤だった。

酸化剤は、私たちが呼吸している酸素と同じく、月の岩石から作った酸素から製造しており、酸素の供給がなければ、酸化剤も製造できない。水があれば電気分解によって酸素を作り、それから酸化剤の製造もできるが、月の水資源は南極にしかなく、赤道上にいる私たちには手が届かなかった。

今までに作ってある酸化剤は、月着陸船のタンクの一割にも満たない。それだけでは月の周回軌道にも届かず、自力では月を離れることができない。救出を待つにも十分な酸素がない。それが、今の私たちが置かれた状況だった。

「酸素消費を減らすアイデアがあるんだ。一段落したら、話を聞いてもらえないかな?」

私は、農場の拡張による酸素の増産についての議論を思い出し、大きくため息を付いた。アイデアを出してくれたユージーンには申し訳ないが、植物はゼロから酸素を作るわけではないし、農場を拡張して、十分な酸素を供給できるようにするには、水も足りなかった。

「本当にいいアイデアなら、いつでも歓迎よ」

多分、私は苛ついている。ユージーンは環境工学のスペシャリストで、月での滞在を快適にしてくれていた。でも、今の私が必要としているのは、地球に帰還するための現実的な方法で、ユージーンにそれを求めるのは間違っている。

「いや、まだいいアイデアかどうかは・・・」

わかっている。何か前向きなことを考えていないと不安なのだ。ユージーンにはロシアのサマーラに美人の奥さんと二人の小さな娘たちが待っている。でも、私にだって待っている人はいる。

「ごめん、フェアじゃなかった。どんなアイデアでも歓迎よ。可能性は追求しなきゃ」

今のところ時間と電力はたっぷりある。それを言えば、ここに無いのは、酸素の製造過程で使う溶媒だけだった。

私はまた大きなため息をついていた。

絶望ではない。最初のショックからは立ち直っていたし、酸素がなくなる三週間はまだ先だから、生命の危機に瀕しているという切迫感もまだ無い。それに、バリ島にある地上のオペレーションセンターでも、何とか帰還できる方策を考えてくれている。

「やっぱり、もう少し検討してからにするよ」

そう言ってユージーンは黙り込んでしまった。優秀だけど、押しが弱いところがあるから、こんなミッションを引き当てたのだろう。ミッションに応募したのはちょっとした点数稼ぎのためで、本当は月に来るつもりは無かったと言っていたのを思い出した。

「そろそろ食事の時間ね。こっちのオペレーションは下に任せて、少し休みましょう」

酸素の製造に問題があることがわかってから、ユージーンが準備する食事から新鮮なサラダが消えていた。多分、レタスを収穫すると、その分だけ酸素が減るような気がするのだろう。

私たちが月でやっているのは宇宙ゴミの掃除だった。スプートニク以降、今までに数え切れないくらいの人工衛星が打ち上げられ、その多くが軌道上で寿命を迎えていた。高度が保てなくなり、流れ星になって大気圏で燃え尽きたものもあれば、燃え殻となって地球に帰ってくるものもある。でも、多くが軌道に残り、今や地球の周りはゴミだらけで、宇宙利用を進める障害になっている。月のレーザーは、地球の周囲を埋め尽くす数万個のデブリの掃除に使われているのだった。

でも、月のレーザーは、そんな事のために作られたものではない。本来は月に設置された巨大な太陽光発電施設であるルナリングから、地球に向かってエネルギーを送るために使われ、地球温暖化問題の抜本的な解決に寄与するはずだったのだが、今のところ、本来の目的では使われていない。

それが残念な現実だった。さすがに気候変動を否定する国はなくなっていたものの、自前のエネルギーや電源に対するこだわりはなくなっていなかったし、エネルギー資源を外交の道具に使いたい国も多い。レーザーには兵器としてのイメージがこびりついており、レーザー光の受光施設が自国内に設置されることへの反発もある。ハッキングによって自国の重要施設が標的にされる事への警戒も根強かった。

だから、私たちは月にいる。技術上の必要性ではなく、各国に残る安全保障上の懸念に対する保険のようなものだった。

私たちが月に着いたのは、二年近く前のことになる。ルナリングの運用ルールに関する暫定的な妥協が成立してから一年後のことだった。

ルナリングの安全保障上の脅威に対処するため、当面の間、月面に緊急停止権限を持つ要員を常駐させるというのが、妥協のポイントだった。

私は、ロシアと中国が送り込んできたのがユージーンで良かったと思う。もっとも、私たちが選ばれたのは、アメリカとロシアの双方が、候補者リストの上位者をお互いに消しあった結果だったらしく、ユージーンはサマーラの大学の准教授だったし、私の方は、ルナリングの建設に多大な貢献をしたとは言え、国際政治の場ではアメリカの腰巾着としか見なされていない極東の島国から選ばれた。

でも、私はこのミッションに選ばれたことがうれしかった。技術者として父が参加していたプロジェクトに参加し、父が行けなかった月に行く。実際のところはともかく、与えられた権限で言えば、父が設計に携わったレーザー送光設備を私が扱う事になるのだ。

私が月に行くと決まったとき、既に体調を崩していた父は、自分のことのように喜んでくれた。それなのに、このままでは地球に帰ることができない。

食事をつつきながらユージーンが説明してくれたアイデアは、私たちを冷蔵保管するというものだった。体温を下げて、体を低代謝状態にすることにより、酸素消費を大幅に減らそうというのだ。コールドスリープとは異なり、冷凍されるわけではないし、重傷者の緊急搬送では成功事例が増えている。健康な人に適用された例はまだ無かったものの、有人火星探査計画のために研究が進められていた。

「・・・やっぱり、やりたくないですよね」

私の反応を見てユージーンが言った。

「下がどう評価するかわからないけど、最後の手段、って感じね」

つまり、低酸素症で死ぬよりはまし、というのが私の感想だった。

「僕もそう思います。でも、希望がある、っていいことだとは思いませんか?」

私は、今にも泣き出しそうな顔のユージーンに同意する。泣き出したいのは私も同じだった。