2020.06.02

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

(なが)(しろ)さん、左に逸れています」

(ワン)()()の声が前方、わずかに右の方から聞こえた。

落ち着いて息を吐き、目を細めて実際の視界をぼやけさせると、王女媧のアバターが声の位置と一致する。見当を失わせる青と緑の大理石模様を背景に見ていると、アバターが異なる場所に動いているかのような錯視に囚われてしまうのだ。

永代は伸ばした人差し指で壁を軽く押して、王女媧の真後ろについたことを確かめた。

「修正しました。これでいい?」

「はい。(くろ)()さんはどうですか」

声をかけようとした永代の足首で、黒部と繋いだリースが軽く引かれた。

「ごめん、僕も左に逸れてた。いま修正した」

王女媧のアバターは、身体をひねって二人のやりとりを眺めていた。低重力下であんな姿勢をとっても体の軸がぶれないのは、質量がない映像の特権だ。

「それでは向かいます」

王女媧は、弧を描くように左上方から右に首を振って、それとは関係のない向きに人差し指を向けた。都市インテリジェンスにサポートされたアバターの平衡感覚では、それがこの場所における「水平」と「前方」にあたるのだろう。

永代は、王女媧が指し示すのと反対の方向にある壁までの距離を測って――視覚はまるで信用できないので、数値を出して――壁を蹴った。すぐに黒部も続く。今度はうまくいったはずだ。

王女媧が「その調子です」と声をかけてくる。「ここから先は、壁に触れないでください。150メートルほど直進できます。広いので、並んでもいいですよ」

永代が慎重に脚を折り曲げると、リースを握って勢いをつけた黒部がゆっくりと前に進んでくる。永代と軽く拳を合わせた黒部は、王女媧に呼び掛けた。

「ちょっと聞いてもいいですか」

「どうぞ」

黒部は慎重に首を巡らせて、大理石模様の壁を見渡した。

「どうして、こんな風に、人間の感覚からかけ離れた設計になってしまったんですか。ちょっとぐらい無駄があっても、地上の構造物のように、まっすぐな梁やトラスで構造を作れるはずじゃないですか」

「どうやって作ったのか、というのなら答えは遺伝的アルゴリズムということになります。少しずつ異なる形状をシミュレーションで競わせた結果、丈夫で、軽くて、安く作れる構造が残りました」

「僕らが使いやすい答えだってあったんじゃないんですか?」

うなずいた王女媧が、質量を持たないアバターの特権を生かして永代と黒部の前に移動してきた。その胸元には、〈新東京〉の立体モデルが浮かんでいた。王女媧は外壁を透過させて、内部構造を拡大させる。木質に覆われた有機的な支柱はそこになく、真っ白なシャフトが空間を貫いていた。

「これが50年前に作られた設計案です。ご覧の通り、人間のエンジニアによる設計です」

永代はうなずいた。確かに、ひと目で、構造と力の伝わり方がわかる。

「いいじゃないですか。でも、強度が足りなかったんでしょ?」と黒部。

「いいえ。この設計図が作られた50年前の段階で、人間設計は、経済的にも構造的にも遺伝的アルゴリズムを凌駕していました」

「ええっ?じゃあ、劣った案を採用したわけですか」

王女媧は首を横に振った。

「はじめに採用されたのは、人間の案です。実施設計まで行われました。シミュレーションをしている途中、チームの一人が思いついたんです。人間が作った構造を樹脂で覆って、固めてから中の構造を抜いても、用をなすんじゃないか、と」

「めちゃくちゃだ」と黒部。

「あとから骨を抜くわけですよね。構造が持つわけがない」

「そうでもありません。地上では、紀元前からその方法で建築が作られてきました」

王女媧が支柱を撫でると、セルフフォーミングレジンを表す青と緑の点が、支柱の表面に何箇所か生まれて、少しずつ成長し始めた。

「例えば橋や大聖堂を作るアーチです。石積みのアーチを作るとき、まず、木枠を作ります。()()(こう)と呼ぶこの枠に、両側から一つずつ石を乗せていきます」

支柱の表面をうごめく青と緑の樹脂は互いに手を取り合うようにして、薄い網目を作っていった。樹脂の成長する速度はどんどん速くなっていく。気がつくと、支柱の表面は完全に樹脂に覆い尽くされていた。

「石を積んでいき、アーチの頂点に達したところで要石を置けば、支保工を取り去ることができます。できあがるアーチは、支保工の何倍もの重さに耐えることができます。同じように作られたのが、このバブルビームでした。人間の設計を踏み台にして機械が産んだ設計は、何倍もの荷重を支えることができました」

王女媧は設計モデルの樹脂の中に指を入れて、支柱を引き抜いた。

「人間は、機械の支保工になったわけです」

「その結果、機械の助けなしにはその中を歩き回ることもできなくなった――ということですか」

王女媧はうなずいて、何も言わずにすいと前方に移動した。よく見えなかったが、その顔に浮かんでいたのは寂しさだったかもしれない。黒部も口をつぐんで王女媧を見送った。

永代は、周囲を流れていく樹脂の壁を見渡した。距離感と平衡感覚を騙す泡の壁は先ほどまでと何も変わらないが、王女媧が聞かせてくれた経緯を知ったおかげで、不安はなくなっていた。しばらく無言で漂っていた永代は、人間も同じことをしていたんだろうな、とふと思いついた。

自然に生まれた洞穴や樹木、動物の骨格に見える構造を踏み台にして、人間は家を作り、橋をかけ、静止軌道にまでやってきた。人間がそうやって作ってきたものを踏み台にして、機械は何倍か優れた設計を生み出している。同じことを繰り返している、というわけだ。

ふと疑問が浮かんだ。

この次はどうするのだろう。

これがエンジニアリングの終点ということなのだろうか。この先、火星や木星、系外惑星を目指す私たちは、人間の設計に数倍する程度の技術しか使えないのだろうか――。

「王女媧さん」

永代は声をかけた。

振り返った王女媧は、前方を指差した。

「どうしました? もう到着ですよ――あっ!」

王女媧の向こうから何かが飛んできた。

子どもだ。

慌てて差し伸べた永代の手に、その子が指先を触れさせる。届かなかったか、とさらに手を伸ばそうとすると子どもは身を翻してこちらを向き、バブルビームの壁に両足を揃えて着地した。

「スカウトの当番?」

「そうよ。あなたたちを探しにきたの――」

「ごめん!」

その子は永代の声を最後まで聞かずに、腕を突っ張って真横に飛んだ。永代には見えなかったが、どうやら壁があったらしい。

「待ちなさい」と呼びかけながら、その子がその姿を目で追うと、背中に優しい感触が伝わって真下に押し下げられる。子どもの手? と思った瞬間「わっ、ごめんなさい!」という声とともに頭上を女の子が飛びすぎて行った。

「待て!」という声が追いかけてくる。

振り返ると、迷子になっていた子どもたちが泡の隙間をこちらに向かって飛んでくるところだった。追いかけっこをしているらしい。

「ナミもタツルも、大人を踏み台にしちゃいけないよ!ルール違反だ」

先頭を切って飛んできたのは、リストの先頭に載っていた小柄な男の子だった。続けて、他の子供達が永代と黒部の脇を通り過ぎていく。

真っ直ぐに、迷いなく。

どこに壁があるのかも判然としない、水平も並行もわからなくなってしまう空間で、子供たちは自由自在に動き回っていた。

「なんで――」と黒部が言いかけた言葉が終わらないうちに、王女媧が呟いた。

「私と同じです」

「どういうことですか?」と、尋ねた永代に王女媧は顔を向け、一瞬だけ目を閉じてから答えた。

「彼らは、身体の感覚を機械にサポートさせているんです。そうやって、この空間を自由に飛び回っている。こんな遊びを続けていると、機械なしでは動けなくなってしまうかもしれません」

「違いますよ」

永代は、口をついて出た言葉に自分で驚いた。何が違うというのだろう。

黒部と王女媧が言葉の続きを待っている。その向こうから、壁を蹴った子供たちがこちらに向かって飛んできていた。回転するバブルビームの壁に手を触れて、飛ぶ方向を少しずつ変えながら、永代にはわからない空間を、きっと彼らの感覚では真っ直ぐに。

それをみていると、言いかけた言葉の続きが頭の中で着地した。生まれた時から機械の作った構造の中で遊ぶこの子たちは、機械に頼っているのではない。

「今度は、機械が子供たちの支保工になる番かもしれませんよ」

ショートショート
藤井 太洋(ふじい たいよう)
1971年 鹿児島県奄美大島生まれ。日本SF作家クラブ第18代会長。
2015年 『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞受賞。
2019年 『ハロー・ワールド』で第40回吉川英治文学新人賞を受賞。
イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ)
1963年 岩手県北上市生まれ。
アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。