2020.09.14

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

 * * * *

その日から眠猫草との生活が始まった。

名前は「ハル」に決めた。日を浴びて眠っているみたいだから、「日」の字を当てたのだ。自分の名前とつなげると「日光」になるのも気に入っている。

光はハルに毎日話しかけながら、ネコヤナギのような背中を撫でた。一人暮らしなので、いろいろなことを話した。それって独り言になるのだろうか。あまりよくないことと聞く。眠猫草では反応も乏しいし。

しかし、ほどなくしてハルは植木鉢から顔を上げるようになった。ずっと眠っているような顔ではあるが、光の方に向くのだ。まるで声の主を探すように。

それから、ハルは光が話しかけるとじっと耳をすますような素振りを見せ始めた。

そんなある日、話しかけながら撫でていると、ハルから異音のような低い音が聞こえた。

まるでモーター音のようだったので仰天し、毎月のメンテナンス日まで待てず急いで良に連絡する。

「えっ、ゴロゴロ音がするの!?」

ゴロゴロ音──聞いたことがある。猫がごきげんな時に喉を鳴らす音だ。これが?

「すごいね、母さん。なかなかゴロゴロ音は聞くことができないんだよ」

さすが緑の指、と言われたが、光はほとんど何もしていない。言われたとおりの世話をしているだけだ。あとは好き勝手に話しかけているだけ。

最初驚いたゴロゴロ音だったが、次第にとても心地良い音と思うようになった。光は寝る時、いつもハルの植木鉢を枕元に置いているのだが、一人暮らしの寂しさから不眠がちだった睡眠習慣が整ってきたのを感じていた。ゴロゴロ音を聞いているうちにいつの間にか眠ってしまうのだ。睡眠をたっぷり取っていたら、気力も回復してきた。見ているだけで笑顔を誘われ、そのせいか血圧も安定してくる。眠猫草の癒やしの効果は、単なるかわいらしさだけではないと光は実感した。

ほどなくして、ハルは長いしっぽのような根を目一杯伸ばして、植木鉢から出るようになった。窓際でのそのそと身体を伸ばす。全身に日を浴びて、とても気持ちよさそうで、毛の先がキラキラと光っていた。しぐさも本当に猫にそっくりだった。

夜、寝ている間にいつのまにか植木鉢から出て、光の頭にくっついていることもある。枕に乗りたいようなのだ。仕方なく半分譲ってあげる。

寒くなってくると、光の膝に乗るようになった。眠猫草は、やはり温かい気がする。単に人間の体温が移っただけかもしれないが。

雪が降った日は、ハルは光から離れようとせず、光もハルと植木鉢を持って家の中を移動した。寒いからというより、もうずっと前から家の中ではこんなふうに過ごしていたけれども。

 * * * *

そんなある日、光がいつものようにハルを撫でていると、違和感を覚えた。首の後ろのあたりにしこりがある。

ゴロゴロ音のこともあったし、植物なのだからそんなに神経質にならなくてもいいのかもしれないが、やはり光はあわてて息子に連絡した。

「これは──」

やってきた良は、ハルのしこりを触って驚いたような顔になる。

「なんなの?」

「母さん、これは・・・つぼみだよ」

「つぼみ?」

「とても珍しい眠猫草のつぼみだ。こんなに人なつこく育ってる個体もないし──母さんはいったいどうやってこの子を育ててるの?」

「どうやってって・・・いつも一緒にいて、名前を呼んだり『かわいいね』とか『きれいだね』とか『偉いね』とか言ってるだけだよ」

何か光にしてくれるわけではないけれど、いてくれるだけでうれしくて。「大好きだよ」とも言っているが、それは恥ずかしくて言えなかった。良にも幼い頃、そんなこと話しかけていたな、と思い出したから。どんなに疲れていて、何もかもしんどくても、息子を「大好き」という気持ちが自分を支えていてくれた気がする。

「そうか・・・」

良はそれ以上何も言わなかった。もしかして彼は憶えているのだろうか、と一瞬思ったが、そんなはずはない、と思い直す。植物であるハルに光の言葉が届いていると思えないのと同じように。

 * * * *

ハルのつぼみは数日かけて大きくなり、やがて白い花を咲かせた。繊細な薄い花びらはハルの首の後ろで小さな翼のように広がっていた。美しい、と思った。

光はその花の香りをかいで、とてもなつかしい気持ちになった。だが、なんの記憶を呼び起こすのかはわからない。

小さい頃にかいだことがあるのだろうか──とぼんやりと窓際で考える。ハルが膝に乗ってきた。花の香りを胸いっぱいに吸い込むと、突然子供の頃のことを思い出した。

この街へ引っ越してくる時、父母と3人で荷物を積んだ車で旅をした。短い期間だったが、いくつかの街を巡った。街の外を自由に旅したのは、それが最後かもしれない。いつか父母とまた旅行へ行きたいと願ったが、彼らは光が結婚する前に相次いで亡くなってしまった。

その頃も太陽の下で深呼吸できる場所は限られていた。光たちはそこを目指し、それを家族の思い出にしようとしていた。

ハルの花は、そこで胸いっぱいに吸い込んだ太陽の匂いがする。

「お日さまの匂いがするね」

母の優しい声がよみがえる。幼い光は、何も匂いがしない、と密かに思っていたのに──どうして思い出せるのだろう。

「光、大好きだよ」

と言う父の声も聞こえた。

両親を思い出して泣く光の手に、ハルが頭をこすりつけてきた。最近、ハルは本当に猫みたいだった。そのうち、「ニャー」と鳴くかもしれない。いつも寝ているように見えるけど、目も開くかもしれない。瞳は何色だろう。お日さまの匂いの花を咲かすのならば、目は空みたいな青だといいな。

 その時まで、光は生きたい、と思った。

ショートショート
矢崎 存美(やざき ありみ)
1964年 埼玉県生まれ。
1985年 「殺人テレフォンショッピング」で第7回星新一ショートショートコンテスト優秀賞を受賞(受賞作は矢崎麗夜名義)。
代表作は、ぶたのぬいぐるみが主人公の「ぶたぶた」シリーズ。
イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ)
1963年 岩手県北上市生まれ。
アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。
作中に関連するシミズの技術
グリーンインフラ+(PLUS)
事業トピックス:都市型ビオトープ「再生の杜」の12年
企業情報(技術研究所):環境実験ブロック
ESG経営:事業活動における生物多様性配慮の取り組み