2020.10.30

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。

第12話は小川 哲さんの『火星人の誕生』です。お楽しみください。

第12話
火星人の誕生
小川 哲

「火星人の誕生」イメージイラスト

“火星は今、春だ。

長い冬が明けると、火星には二酸化炭素の風が吹く。溶け出した大量のドライアイスが昇華し、時速400キロもの強風になるのだ。そんなとき僕たち人類は、基地の中で風が止むまでじっと待っていることしかできない。今年は例年よりも風が弱いそうで、基地の整備を担当している屋外整備士が「仕事が少ない」と喜んでいた。

ジョン・ローウェル基地の人口は1200人ほどで、移住、研究目的で各国の科学者や宇宙飛行士、基地職員に基地外活動員、関連事業の社員などが滞在している。110年後から液化ガスの採取と南極地点の植民化を開始することを目標に、基地の拡大や食糧と酸素の自給自足を可能にするため、様々なプロジェクトが同時並行で進行している。もっとも大掛かりなものは地中の塩素を用いて温室効果ガスを生成し、それを散布して気圧と気温を上げる実験だ。火星は重力が弱く大気が希薄なので液体の水はすぐに蒸発してしまう。緑化のためには紫外線に強い植物と一定の大気圧が必要で、その研究と実験が行われているのだ。ここのところ原因不明の大気圧上昇が起こっており、そのおかげで68年後には火星南極の地下にある大量の氷を溶かすことができるようになると言われている。

そのほかにも、火星の災害を調査している惑星物理科学者や地震学者もいるし、太陽系外の観測を行う天文学者もいる。基地での食事を作るコックや、基地の拡張作業を行う建設作業員も。彼らはそれぞれ、全宇宙で彼らにしかできない仕事をするために、片道156日もかけて火星にやってきたのだ。

ちなみに僕は大学も出ていないし、まともな料理だって作れない。過酷な環境下、基地の外で一日中作業をする体力も勇気もない。

では、僕はどうして滞在しているのだろうか。

一言で表現するなら、「運が良かったから」だ。僕はアレスMk=Ⅱに乗船し、七ヶ月間火星に滞在することを許された12人の一般人のうちの1人だ。12人のなかで唯一の日本人で、アレスの乗船料を会社に支払ってもらった唯一の人間で、地球時代に船内の宇宙食より貧素な食事をしていた唯一の人間だ(156日間の宇宙船生活で、食事に不満を漏らさなかったのは僕だけだ)。1万倍の倍率をくぐり抜けてアレスに搭乗する権利を得たことも幸運だったし、その後の乗船試験に通過して補欠に選ばれたことも幸運だった。乗船員の1人が出発2週間前に感染症にかかり、2年近くに及ぶ宇宙生活のスケジュールを都合できたのが補欠の中で僕だけだったのも幸運だった。

僕はこうして火星にやってきた。でも僕は、アレスでの無重力生活や、大気の薄い火星から見える美しい銀河を楽しみ、袋に火星の土を詰めて友人に配るだけでは許されない。僕が働いているのはネットにニュースを配信する会社で、僕の渡航費を出したのもその会社だ。ライターである僕は、渡航費が稼げるだけの記事を書かなければいけないのだ。

会社が僕に命じた記事のタイトルはシンプルだ。

「火星人を探せ」

バカバカしいと思うかもしれないけれど、僕が会社から渡航費を引き出すために約束してしまったのだから仕方ない。普段僕の会社のサイトで古代文明や伝説上の生物についての記事を読んでいる皆さんは、火星の大気圧を上げるために必要な温室効果ガスの量や、火星で採取できる液化ガスの組成式、溶けだした水を南極付近にとどめるために必要な大規模な治水工事、そのオアシス生育するUV-Cに強い新種のブロッコリーについて、一切興味がないだろう。皆さんの言いたいことはよくわかっている。「つべこべ言わずに火星人を見つけてこい」というものだ。

結論から言おう。僕はこの火星で、「火星人」を見つけた。”

向井翔馬は基地のコミュニケーションルームから記事を地球に向けて送信すると、基地外活動移動ユニットの申請が受理されるのを待った。編集長から「本当に見つけたのか?」と返信が来たのは25分後だった。地球までの通信に片道5分程度の時間がかかることを考えれば、いつもの数倍の早さだろう。現在日本が何時なのかは計算するのも面倒だが、それだけ期待がかかっているということなのかもしれない。

僕が「嘘はついていません」と返したところで、職員に名前を呼ばれた。

アレスでは「火星人を探しにいく」と言って散々笑われたものだったけれど、基地に着いてからはそうではなかった。到着して最初の基地外見学の際、同行していた活動員が「火星人ならいるよ」と口にしたのだ。どこにいるのか聞くと、「今は第2キャンプにいる」と教えてくれた。基地では誰でも知っている有名な話だそうで、会って話を聞くこともできるという。

二酸化炭素の風が止んで移動ユニットが借りられるようになると、僕は「火星人」に会うためにすかさず申請を出した。

「火星人」はアメリカ人の建築家だ。溶けだした水を南極付近にとどめておくためのダム建設のため、工事計画や必要な作業ロボットの性能や数を試算するために火星に来ている。火星にやってきたのは(火星における)昨年(約800日前)で、基地では最古参の一人らしい。

第2キャンプは基地から110キロほど離れた場所にあり、MRVで約4時間の距離にあった。第2キャンプにはダム建設に関わる9人の作業員が常駐している。

「頭がおかしくなったんだろうな」

キャンプに向かう途中で、隣でMRVを運転していた活動員の声がスピーカーから聞こえた。空気の薄い火星では、活動員の声は移動ユニットに内蔵されたマイクを通じて聞こえてくる。静寂の中から突然声が湧いてくるような不思議な感覚に、僕はまだ慣れていない。

「地球から何千万キロも離れた場所で800日も暮らしているんだ。それも、自分が死んでから何十年も経ったあとに始まる工事の見積もりをしなきゃならない」

「彼は火星人じゃないんですか?」と僕は聞いた。

「当たり前だろう」と活動員は笑った。「少なくとも30日前まではアメリカ人だったよ」