2021.06.21

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

私は今、月の宮殿を作っている。こんなことを言うと、祖父はどう思うだろうか。

とはいえ特別なことをしているわけではない。将来の月面研究計画に先立って、地球から遠隔で有人基地を建設しているだけだ。基本的な作業はモニターとのにらめっこ。約2秒のラグで送られてくる映像をもとに人間が最終判断する、それくらい。

なんといっても送り込まれた資材は自動で展開して簡易住居になるし、組み上がった建物自体がローバーとなって目的地へ移動していく。私の仕事といえば、無数の機械の動きを管理することと、一部のマニピュレーターを操作して複数の簡易住居を合体させるだけ。ただ一応、このパーツ同士を合体させる作業で私が重宝された部分もある。

月面基地の建設には宮大工の技が生きている、というキャッチコピーがある。

ようはネジの腐食といった弱点のない、資材同士を組み合わせる社寺建築の工法が大いに利用されているのだ。この提案を決めたのは会社の偉い人だが、事前のコンペでは同じ部署の全員が一丸となって計画を練った。

「リーダー、そろそろ交代しますよ」

そう言って部下の男性が私と席を代わる。未だにその呼ばれ方は馴染まない。

「凄いですよね、リーダーは。早くて正確だ」

繰り返すけど、特別なことは何もない。

ただ就職先を建設会社に決め、社寺建築の部署を希望し、たった十年ほど働いていただけだ。宮大工の世界なら、まだまだ新人だろう。

だから、この月面建設プロジェクトに抜擢された時も分不相応だと思った。何より祖父の名前は職場でも聞けたし、その孫が私だと知れると変に期待もされた。プレッシャーに負けてしまいそうだった。

それに虚しさだってある。

こうして作っている簡易住居は、実際に人間が月に送り込まれた後には解体されて、もっと強固な基地に作り変えられる。いわば仮の拠点であって、未来に残るのは別のものだ。祖父が手掛けてきたような宮大工の仕事とは、まるで正反対だ。

目に見えない重圧、無意味な仕事。それが私に与えられたもの。

嘉兵衛が月の宮殿を完成させると、どこからともなく娘さんが現れました。そして娘さんは嘉兵衛に向かって「私は天女なのです」と告げました。天女は月で住む家をなくしてしまったせいで、仕方なく地上で暮らしていたというのです。それに嘉兵衛も同情し、一緒に新しくできた月の宮殿で暮らすことにしました。

祖父は、ホラ吹きではなかった。

月の有人拠点を建設する間、私は調べ物をする機会が増えた。

多くは月の伝承や、大工にまつわる歴史の話だった。すると、面白い話を知ることができた。

どうやら昔話などでは、ユウガオのツルを伝って天界へ行く話があるらしい。ジャックと豆の木は有名だが、ツル性植物というのは空の上へ行くための道具になるようだ。

それからもう一つ。これは与太話の類だが、紙を42回ほど折ると月へ到達できるとのこと。物理的には限界が来るが、数字だけなら紙の厚さかけることの2の42乗で、月までの距離、約38万キロメートルに余裕で届くのだという。

この二つの話を聞いて、かつて祖父が私にくれたものを思い出した。適当に畳んだ折り紙も、雑貨屋で買ってきたユウガオの種も、どちらも月へ行くための道具だった。

魔法の梯子も、願いが叶う花の種も、本当のことだった。冗談ではあったのだろうが、無意味な嘘などではなかった。

それを知った時、ふいに心が軽くなった気がした。

嘉兵衛は天女を嫁に迎えました。二人は月の宮殿で仲睦まじく暮らし、沢山の子宝にも恵まれました。そんなある日、嘉兵衛は地上に残してきた母親のことが心配になりました。嘉兵衛は意を決し、妻に「地上へ帰りたい」と告げました。すると天女は紙を取り出し、それを器用に折りたたんで梯子を作ります。「あなたも子供も、本当は地上の人間、もとより月で暮らすことはできなかったのです。どうぞ梯子を降りてください。地上へ戻ることができるでしょう」天女の悲しそうな顔を見て、嘉兵衛もまた悲しくなりました。でも、嘉兵衛の気持ちは変わりません。

その日、私は晴れやかな気持ちで仕事を始めた。

月面建設プロジェクトに関して、少しだけ私のワガママが実現できることになったのだ。

「リーダー、さっきから作ってるのはなんですか?」

後ろから声をかけてきた部下に、私は意地悪い笑みを返す。

「記念のプレートだよ」

月面の機械を使い、プレートにレーザーで文字を刻んでいく。それは今回のプロジェクトに関わってくれた人への謝辞だ。作業が順調に進んでいたおかげで、こういった遊び心も許してもらえた。

「謝辞って言うわりに、なんか物語みたいになってません?」

「そうかもね。でも謝辞だよ」

今までずっと、祖父の好きだったものが理解できなかった。目に見えず、意味もないもの。

でも違う。それらは祖父には見えていたし、意味もあった。

思えば宮大工が作る寺社も似たようなものだ。目に見えない神様や仏様のための建物で、日々を生きる人にとっては意味をなさない。けれども、それを作ってきた人たちと、残してきた人たちにとっては何より大事なものだった。

この月面建設だって同じことだろう。地上の人々からは見えないだろうが確かに存在するし、いずれ解体される代物でも受け継がれるという意味がある。

だから、私も残そうと思う。遊び心を持って。

「ところで、建材の裏に記念プレート置いても、誰にも見えないんじゃないですか?」

「いいんだよ。数百年後に発見されれば、きっと面白い」

私は最後の1文字を刻み終え、モニター前の席を部下へ譲る。

「夢だったんだ、月に宮殿を作るのは」

会社の窓から空が見える。夕暮れの空に白い月が浮かんでいる。その表面では無数の重機がせっせと動いているのだろうか。

「私じゃなくて、祖父のだけどね」

目には見えずとも、そこにある。無意味に思えても、意味はある。月で働く機械たち、寺社への祈り、時代遅れの大工の技。

それから祖父の名。

嘉兵衛は地上へ戻り、母親と一緒に暮らしました。それでも嘉兵衛は天女のことを忘れたりはしません。年老いた嘉兵衛は孫たちに何度も言いました。「自分は昔、月で宮殿を作ったことがある」それを聞いた孫たちも、いつか月へ行くことを夢に見たのでした。

ショートショート
柴田 勝家(しばた かついえ)
1987年 東京生まれ。
成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。
在学中の2014年、『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞し、デビュー。
近著は『アメリカン・ブッダ』(ハヤカワ文庫JA)。戦国武将の柴田勝家を敬愛する。
イラスト
加藤 直之(かとう なおゆき)
SFイラストレーター。SF小説のカバーイラストを中心に、作品を描きあげる過程で科学、物理、工学、工芸に興味を持ち、取材のために関係イベントにもよく顔を出す。
趣味は読書と自転車。乗るだけでなくパーツの改造をしたりすることも多く、金属やカーボンの素材を切ったり削ったりするのが好き。最近はプラネタリウムのドーム投影作品にも挑戦している。
作中に関連するシミズの技術
シミズドリーム:月面基地
清水建設の社寺建築・伝統建築