2019.09.02

ConTECH.café

建築家はヤドカリに嫉妬する

「灯台下暗し」だった……

義父は、出雲日御碕(いずもひのみさき)灯台などの灯台守(燈の字も好きで捨てがたいが)だった。帰った実家のトイレで踏ん張っていると、灯台のカレンダーが目に入った。御前崎(おまえさき)灯台。明治7年に竣工になったときから、ずっとここで「現役」である。

日本人は、「生涯現役」ということばが好きだ。立派だなぁと思うが、現実は、筋力は落ち、視力も衰え、反射スピードも低下するなどの肉体的老化はどうしようもなく、それをカバーする暗黙知という経験の厚みや風格込みでそう希望的に言っている気がする。マッカーサー元帥の「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」は実感からそう口に出たのだろうし、まだまだ腕に自信がある人であっても、さまざまな不如意を自覚せざるをえないゆえに、多くは「老醜をさらす」前に「後進に道を譲る」。

だが、御前崎は、戦災で損傷したし、中の設備は時代の要請に合わせて電化、電子化され、躯体もメンテナンスされているだろうが、その凛とした立ち姿は、今日も沖合を行く船に安心の光を届けている。まさに、「バリバリの」という形容がぴったりなのだ。ちなみに、全国の灯台の内67基が明治時代のもので、もちろん現役である。

長めの二等辺三角形を描いてほしい。先端に〇を加え、その左右からネコのひげを3本ずつはやす。はい、灯台の出来上がり。天才消しゴム版画家ナンシー関の痛快で大爆笑の怪著『記憶スケッチアカデミー』(角川文庫)では、カエルやカマキリなど何でもないものでも、いざ描いてみてと言われると、正しく描けるのは少数派で、ほとんどシュールなとんでも絵になってしまっていたが、灯台は、わりと間違いなく描けるのではないだろうか。

灯台と言えばSF作家レイ・ブラッドベリの胸キュンの掌編「霧笛」を思い出す。灯台が発する霧笛を、たった一匹生き残り深海で眠っていた恐竜が仲間の呼び声だと思い、会いに来る物語。結末は言わないが、灯台とはなんと人間的な建物なのだろう。希望であり、哀愁を秘めたものである。だから、物語の舞台になる。したくなる。

本来の用途をなくした「保存」されるだけの建物も、ただそこにあってほしい

スクラップ&ビルド。日本の建築事情は、良くも悪くもこう言われる。長年かけて日本人がたどり着いた住まい方の結論である。

事実、大火つづきの江戸にあっては、燃えやすい、すぐ建てられることは必須条件でもあった。使える土地に限りがあるのだから、そうするしかない。仏教の無常観から説明する本も読んだことがあるが、そんなに腑には落ちなかった。いちばん合点が行ったのは、徒然草第55段の「家の作りやうは夏を旨とすべし」は、住居論として、そだね~、実感だよね~、身体的にも心理的にも、そうありたいね~。

区の蔵書検索をしてみると、船瀬俊介著『日本の家はなぜ25年しかもたないか?』(彩流社)などそうしたタイトルの本がずらーっと出てくる。読んでもないので無責任なことは言えないが、実感として、年数がただ長ければそれでいいのかと思うのだ。永平寺に行くと、それをより痛感する。いまも多くの雲水たちが修行する。開山当時から約800年後の現在も道元の教えに従い、変わることなく、ずっと「いまだけ(即今当処)」の場でありつづけ、若いとか古いとかの価値判断は超越している。ちょうど器の水を淡々と黙々と移し替えるような日々だけが約800年、日常としてつづいているのだ。

一方で、特に東京の新陳代謝の凄まじさ。数か月行かなかっただけで、あのビルがなくなっている!こんなビルあったっけ?が日常茶飯。価値の時間軸が、永平寺のそれと真逆なのだ。老成や成熟は一部を除いてマイナスの価値であって一律に「老朽」とされ、経済的に富を生産する「役に立つ」、かつ成長や進歩に寄与するものだけが「ファースト」とされる。

佃島の玄関先にトロ箱で育てた草花があちこちにある路地から見るタワマン群。東向島の第2次大戦の空襲でも残った木造住宅がいまだに残る迷路のような路地から見えるスカイツリー。来たる震災に備え、重点的に整備されつつある。こうした路地と家々は、法律をクリアできず「既存不適格」と、あたかも不健全で危険だとレッテルを貼り、退場を迫る。これが東京の特徴なのだろうが…。

ブルーシートハウスでの「生きるとは、こういうことだったのか」

河川敷のブルーシートハウスを見学させていただいたことがある。

怖いもの見たさの無礼千万な動機には反省しきりなのだが、路上生活者への根拠なき偏見は木っ端みじんに砕かれた。正直、ニオイだけはまいったが、吉阪隆正賞を受けた「建てない」建築家の坂口恭平さんの『0円ハウス』(リトルモアブックス)の惹句「鳥が巣をつくるように、人間も家を建てることができる!」が目の前にあり、心底、感動した。

ル・コルビュジエのモデュロールさながら生活動線に過不足なく配置された生活用品の数々。村上春樹やマルクスもあり、エロ本もある。コックピット!もちろん、カップ麺や水、酒、調味料など食品以外、大半が新品ではない。虫やヘビ、雨風と自然は容赦してくれない。でも、ネコは来てくれる。ストンと腑に落ちる。ブリコラージュって、こういうことだったのか!と。

友人の建築家と飲んだときのこと。彼は、ゼネコンから、北海道や北東北で大地から湧き出るような建築を手がけた異端派のアトリエを経て、独立。その傍ら、建築家視点の古代史論も上梓。彼の誘いで「しまなみ海道」10周年企画提案公募にコンセプター兼コピーライターとして参加したことがある。運よくファイナリストに残り、公開プレゼンで、入選には至らなかったが、審査員の伊東豊雄さんからお褒めのことばをいただいた。以上、自慢でした、はい。

彼はポツリと独り言のように、けれどどこか吹っ切れた感じで言った。

「理想はヤドカリかな」。うーん、建築家という職能も、何とも因果なものである。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト