2020.03.30

建設的な未来

清水建設×日本SF作家クラブ
建設的な未来

「こんな強烈なの、初めて」私は叫んだ。「大丈夫かな。私、VR不適合者なのに」

「だからVRじゃないって。心配するな。トモミがVRに馴染めないのは、今のVR自体に解像度が足りないせいだ。あるいは、その土台をなす知性の多様性が、足りないからでもある」

「解像度? 知性の多様性?」

「トモミは他の多くの人より、高い解像度で世界を見ている。そういう人にとって、今のVRは薄まった空気みたいなものさ。しかも人間と、その知性をモデルにした人工知能が構築している。でも世界にはもっと多様な知性がある。君にはその存在を感じる力がある」

だから息苦しくなるのさ・・・そうピーターが言うやいなや風景が一変した。

騒々しい海とはちがって、頭の中がキーンとするほど無音の世界。星々が瞬くことなく光っている。その一つがズームされていく。見覚えのある惑星だ。たぶん金星――どんどん大きくなって、眼前に暑苦しそうな雲が広がっていく。そこに何かがうごめいていた。

「あれって、生き物? やっぱりVRじゃないの?」

「今の現実さ。多様な知性が合わされば、こんなものも見えてくる。僕らはトモミと、あそこへ行きたい。もっと先へも……10年前に君を見つけてから、ずっと準備していた」

「何それ。ネバーランドへでも連れて行くつもり?」

 * * * *

その次の日も、また次の日も、私はピーターと一緒に、海中や海底、さらにその下の地下世界なんかを見てまわった。どこへ行っても、頭から溢れそうなほどの知覚刺激が、途切れることなく続いた。VRと違って、何時間そうしていても息苦しくはならない。

そして何よりも寂しさを忘れた。ピーターによれば、イルカやクジラ、タコ、イカといった「知性体」の中にも、ロータス・シティと一体化している個体がいるらしい。私にピーターが触れている間は、異質でありながら通じ合える仲間の存在を、確かに感じていた。

 * * * *

そうこうしているうちに、大きな病院へ行く日が明日に迫ってきた。私をJバースで暮らせるようにするため、きっと徹底的な治療が施されるだろう。待ち遠しくもあったそのことが、今は少し怖く感じられた。もしかしたら私が、私でなくなってしまうかもしれない。

緑の塔は高さ400mに達していた。先端の実は、まるでロケットみたいだ。

私は1階に降りて、植えこみのカタバミを見に行った。数日前に比べると、花が少し減った気がする。長さ2cmくらいの熟した実に触れると、それはいきなりパチンと弾けた。ケシ粒みたいに細かい種が、四方八方に飛び散る。半径1m以上にもなりそうだ。

「えっ」そこから私は、また緑の塔を見上げた。「まさか・・・そういうこと?」

海鳴りが遠くから、ドーンと聞こえてきた。わけもなく胸が高鳴るのを感じる。

 * * * *

その夜、私はワルツを踊るワイングラスの仕上げにかかった。それは、あと一歩というところにまで来ている。

生物は昼と夜という2拍子の時計遺伝子しか持たない。だから参考にならなかったのだけど、突然変異で3拍子を刻む遺伝子を何とか見つけた。それをモルボット用に変換して、カルスに導入してある。あとはひたすら人為選択で、滑らかに踊るよう進化させるだけだ。

選んでは混ぜてを眠らずに続け、外が明るくなってきたころ、ようやくグラスは完成した。見た目は白い磨りガラスのような風合い。カップから伸びた脚は1本だけど、底のプレートが3つに分かれて動く。3拍子を刻みながら、半径15cmくらいの範囲を優雅に踊る。

私はそのグラスに赤ワインを注ぎ入れた。これがモルボットの餌にもなる。お酒が切れない限り、グラスはリビングのテーブルでずっと踊り続ける。

私はママとパパが眠る寝室に入って、二人にそっとキスをした。そして別室の弟にも。

少しふらつく足でクローゼットに入ると、ピーターが待っていた。

「決心がついたみたいだね」

私がうなずくと、ピーターは両手を差し延べてきた。その手につかまったとたん、私はするっと壁の中に引きこまれる。何の抵抗もなかった。

「えっ、どうして」

「ちゃんと通り道をつくっておいたよ」ピーターの微笑む気配があった。「それにトモミの体の一部は、すでに僕らと同じなんだ」

「よくわからない。何のこと?」

「君が齧った小さなリンゴみたいな実・・・忘れたのかい」

「あっ!」

 * * * *

約1週間後、私はロータス・シティの「種」の一部になって金星を目指していた。まさかカタバミと同じ仕組みではないだろうけど、種はあのロケットみたいな実から弾きだされて、地球の引力圏を脱出した。同じ種にはピーターやイルカの存在も感じる。

温室効果が暴走している金星でも繁栄している生物に会って、彼らに何かを学ぶのが目的だった。それを暑さにあえぐ地球の仲間に伝えたら、タンポポみたいな帆を張って太陽の光を受け、惑星めぐりの旅に出る。地球に戻れるかどうかは、わからない。

もしかしたら、どこか別の世界に舞い降りて、芽を吹くことになるのかも・・・。

どのみちJバースのような世界では、生きていけない私だ。むしろ、こういう冒険をするために、生まれてきたような気もする。後悔はなかった。

寝室から起きてきたママが、リビングにワイングラスを見つけて、ふっと微笑む姿を私は想像した。そこまでが地球での思い出だったことにする。後のことは・・・考えない。

そして吹きつける太陽風の感触に、ひたすら身を委ねていった。

ショートショート
藤崎 慎吾(ふじさき しんご)
1962年 東京都生まれ。
作家、サイエンスライター。
米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。デビュー作の『クリスタルサイレンス』で早川書房「ベストSF1999」国内篇1位。
近著に『我々は生命を創れるのか 合成生物学が生みだしつつあるもの』(講談社ブルーバックス)。
イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ)
1963年 岩手県北上市生まれ。
アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。
作中に関連するシミズの技術
   
先端技術探訪:生物を模倣する、バイオミメティクスの進化の果てとは
テクニカルニュース:太平洋の国々の美しい環境を守る提案
シミズドリーム:環境アイランド GREEN FLOAT