2023.05.08

建設的な未来(東芝)

SFプロトタイピング フェーズII

エンジニアによる未来構想 4(3)
ワークショップで導き出した未来の世界が小説に!

キャストトゥースの一部

「アール・デコですか?」

スツールに腰掛けたカナメは首を傾げた。

テーブルの向かいで、似た形のスツールに腰を下ろしたアバターは頷いた。

「ええ。私たちはそう呼びたいと思います。ベスタで生まれた投影格子(キャストトゥース)は、太陽系時代のアール・デコです」

地球の欧州地区にあるカフェからログインしているインタビュアーのアバターはそこで言葉を切ると、水の入ったグラスをゆっくりと手に取って、一口飲んだ。

インタビュアーの名前はンガディ・カーペンター。アフリカにルーツを持つ褐色の肌はベスタでは見たことのない強さの太陽光に輝き、鎖のような細い三つ編みはまっすぐに地面を向いて垂れ下がっていた。

ンガディのアバターは、グラスが跳ね返らないことを確信できる高重力下の動作でテーブルにグラスを置いた。グラスに残った水が渦を巻いてグラスの底に戻っていくのも重力の証だ。

水がグラスの底に戻ってから、アバターはカナメに顔を向けた。

「いかがでしょう」

たっぷりと間をとったこの動作は、ンガディが気を持たせているわけではなく、もちろんアバターが壊れているわけでもない。太陽系時代のコミュニケーションによくある形態だ。

ベスタと地球は2.5天文単位離れた位置にあるので、カナメの声をカーペンターが聞くまでに20分かかってしまう。さらにその声を聞いたンガディの反応は40分後にしか戻ってこない。

これだけ遅延があると会話は成立しないので、ンガディはいくつもの質問を記憶させた自律アバターを用い、2人の音声が20光分の空間を飛び交う時間を稼がせているのだった。もちろんカナメも自律アバター用の性格プロファイルを送ってあるので、パリのカフェにいるンガディも退屈することはないだろう。

カナメは、自分の左右に腰掛けた市長と御厨に顔を向けた。迷っていることを察したのか、市長は肩をすくめて軽い口調でカナメに話しかけた。

「楔戸さんが好きに答えていいんじゃない?」

御厨も勢い込んで頷いた

「そうです。カーペンターさんはご自身の出身地で生まれた美術ムーブメントに引き寄せたいだけです」

御厨は、複合現実にメモを書き出した。

「ポイントとしては、まずアール・デコを知ってたか、その運動や作品を楔戸さんがどう思ったか、投影格子と似ているところはあるか、もしもあるなら、それはなぜかというあたりを答えればいいかと思います

「そしてこの次」

「次?」御厨は怪訝な顔をした。「投影格子の次、ですか?」

頷いた市長はカナメに体を向けた。

「アール・デコはモダニズムが提唱した用の美に座を譲ったし、モダニズムも言い訳しながら装飾するポストモダンに飲み込まれた。はっきりしてるのは、投影格子も必ず終わる。その時のことを少しだけでも考えておいて」

思ってもいなかった言葉にカナメは目を見開いた。

この1年、カナメの生活と交友関係の全ては投影格子と共にあった。起きたカナメがまずやるのは、毎日いくつも送られてくる投影格子プロダクトのレビューだった。

タトゥーの柄のように簡単なものもあれば、宇宙船の船体構造トラスのように、何千人もの命がかかっているものもあった。太陽系中のデザイナーがカナメの評価を待っているのだった。

午前中は工房で依頼されたデザインを進める。今手がけているのは、木星の大気鉱山から頼まれた「凧」だ。濃密な大気に降下していって大気の素性を調べる調査ドローンの一種だが、骨組みに投影格子を使いたいのだという。

午後は製造か取り付けのどちらかで手を動かしている。だが、この1年間作っているのは全て投影格子に関係するものだった。

「考えたこともなかったです」とカナメは市長に答える。「まだ始まったばっかりな気がして」

「それはそうなの。まだ忙しくなると思うけど、必ず終わるし、その次があることは気づいておいて」

「わかりました」

カナメは素直に頷いて回答にとりかかった。

「質問ありがとうございます。まずメッセージをいただくまで、アール・デコを知りませんでした」

「あらら残念」

アバターは即座に応じるとテーブルにカナメが見たことのある器やビルの模型、窓枠などを並べてみせた。どうやら予想していた展開らしい。

「好きな作品はありますか?」

カナメはビルの模型を指差した。

「クライスラー・ビルは好きです。象徴、という感じがして。あと、カッサンドルでしたっけ。船のポスターを描いた」

「A.M.カッサンドル。よくご存知ですね」

「メッセージをいただいてから勉強しました。それで、カーペーンターさんが――」

言いかけたところで、アバターが絶妙の間で口を挟んだ。

「ンガディで」

「わかりました。ンガディさん」

遅延を紛らせるための仕草だが、とても自然だ。

「ンガディさんから取材の申し込みをいただいた時にアール・デコという運動を知って、少しだけ勉強したんです」

市長が苦笑いする。カナメはベスタの市立図書館にこもって、十九世紀末のアール・ヌーヴォーからアール・デコ、モダニズムに至る流れを必死で勉強していたのだ。カナメは市長に口をつぐんでいるよう、目で合図してからンガディに向き直るとテーブルから窓枠をつまみ上げた。ニュージーランドの政府保険ビルのエントランスホールにあるステンドグラスだ。設計者はジョン・メイアー。

「投影格子の窓枠と確かに似てますね。黒くて細い枠が窓の中に張り巡らされています。違うところも多いですけどね。アール・デコのパターンと違って、投影格子に左右対称はほとんどありません」

「確かに。何か狙いがあってそうしたんですか?」

少し考えてからカナメは市庁舎の窓の模型を手元に浮かべ、隣に三角トラスの図面も並べた。

「一番初めに設計した投影格子です」

「何度も映像で見ています。その三角トラスを投影したものですね」

「はい。平面の図形を三次元空間で回転させて、影を記録する最も簡単な投影格子です。ここから全部始まったんです。何も考えずに正三角形のトラスを作って枠の影をなぞっていったら、出来上がっていた」

ンガディが頷くと、市長と御厨も身を乗り出していた。

「これは落書きのようなものなんです」

ンガディはにこりと笑うとスツールに座り直して、水の入ったグラスを手にしてカナメを見直した。

市長がクスリと笑う。

「予想外の答えだったみたいね」

「仕方ありませんね」とカナメ。「まさか自分でもそんなことを言い出すなんて思ってませんでしたから」

「私はわかるけどね、落書き。御厨さんは?」

御厨も頷いて、手元に図面を浮かべた。カナメが発明した日に工房に来て作ったパターンだ。

「言いたいことはわかりますよ。でも、残酷ですよね。考えずに描いた線が太陽系中に広がるような人もいれば、私みたいに牢屋の鉄格子になる人もいる。私も同じ日に三角トラスの影をやったんですが、とても同じようにはできませんでした。今も苦手ですね」

今ならカナメは、御厨のパターンの問題がわかる。外枠の中にパターンを収めようとしたせいで投影した結節点が中央に寄ってしまっている。カナメのパターンはもっと大きなパターンの一部を切り抜いているから空間を感じさせるのだ。

だが、遅延のある会話でそういう機微を伝えるのは難しい。そもそも、そういう内容を求めているのかどうかもわからない。カナメは代わりに言った。

「今はプログラムがあるので、もっと上手にできる人はいます」

「なるほど」

ンガディのアバターが納得したように頷いた。次の話題は――とカナメが考えるとンガディは身を乗り出してきた。

「落書きの話をもう少し聞かせていただけますか?」

「いいですが――」と言いかけたカナメの手元に市長がメモを滑らせてきた。

――アバターの時間稼ぎだよ。相手してもいいけど、別の話題に切り替えてもいい。

カナメは市長に頷いてンガディに笑いかけた。

「落書きの話はまた後で。とにかく、アール・デコに例えていただいたのは光栄です」

市長の言う通り、遅延対応のための時間稼ぎだったらしい。ンガディのアバターは失望した様子をひとかけらも見せずに、テーブルに身を乗り出してきた。

「そのお言葉をいただけて、嬉しく思います。アール・デコはパリとニューヨークから、来るべき二十世紀の姿を照らし出しました。アール・デコは、美が設計できることを、工場で作れることを、そして師匠から学ぶ技芸よりもインスピレーションがずっと大事だということを教えてくれた偉大な芸術運動です。タトゥーから宇宙船まで、あらゆるパターンと構造に使われている投影格子も同じように、太陽系の眺めを変えていくことを期待しています――」

用意していたらしい賞賛の言葉に相槌を打ちながら、カナメは市長が口にした投影格子がいつか終わること、そしてその時はいきなり訪れることをはっきりと自覚していた。

機械の時代(マシン・エイジ)の幕開けを告げたそのムーブメントは都市の様相を変え、色のない金属とガラスで美を表現できることを世界に知らしめた。だが、今よりもずっとゆっくり時間が流れていた二十世紀初頭に、その運動は20年しか続かなかったのだ。

投影格子はいずれ役目を終える。どうやって終わるのか、いつ終わるのかはわからない。

だけど、そう遠くない未来に投影格子の役割が変わるだろうという予感は、御厨とンガディの自律アバターが語る未来を聞いてますます強まっていった。

40分後に届いたンガディの賞賛を聞いても、カナメの予感は変わらなかった。

第4回に続く

小説
藤井 太洋(ふじい たいよう)
1971年 鹿児島県奄美大島生まれ。日本SF作家クラブ第18代会長。
2015年 『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞受賞。
2019年 『ハロー・ワールド』で第40回吉川英治文学新人賞を受賞。
トップイラスト
Robin Rombach and Andreas Blattmann and Dominik Lorenz and Patrick Esser and Björn Ommer: High-Resolution Image Synthesis with Latent Diffusion Models. Proceedings of the IEEE/CVF Conference on Computer Vision and Pattern Recognition (CVPR), 2022, pp. 10684-10695.

プロンプトエンジニアリング 渡邊 基史(清水建設株式会社)
画像生成AIに対するプロンプトを作成