2023.02.20

建設的な未来(東芝)

SFプロトタイピング フェーズII

エンジニアによる未来構想 4(1)
ワークショップで導き出した未来の世界が小説に!

2022年1月から、SF作家 藤井太洋氏、イラストレーター加藤直之氏、株式会社東芝 CPSxデザイン部と当社のエンジニアがコラボし進めていた SFプロトタイピング。(SFプロトタイピングのレポートはこちら

藤井氏には、このSFプロトタイピングのワークショップ参加者が導き出した6つの「未来の世界」の中から「モデリングネイティブ」の世界を中心に、「魔改造依存」、「街全体が匠」、「国家の解釈は任せる」などを題材に選び、小説にしていただきました。
各々の世界の内容はこちら

この小説を4回に分け公開いたします。

建築惑星 第1回
藤井 太洋

建築惑星

大きな伸びをした(きっ)()(カナメ)は、その勢いで浮き上がった脚をベッド脇のフレームに絡ませて体を水平に保つと、窓の中央に浮かぶ時刻を見た。低出力レーザーが網膜に描く複合現実インターフェイスの文字は、起き抜けのぼんやりとした視界の中で妙にくっきりと浮かび上がって見えている。

「あ、まずい」

時刻は地球標準時の午前9時。工房が開くまで15分しかない。タオルケットをストラップに挟んだカナメは足元のベッドフレームを長い足指でさぐると、しっかりと掴み直した。

0.2Gの人工重力下だと10キログラムをわずかに超える体重しかないカナメだが、ジム通いを欠かさない体の質量は70キログラムを超える。それなりにしっかり握っておかなければならない。足指が離れないようにゆっくり脚を曲げたカナメは、その動きで生まれた慣性を利用して体を反転させ、頭からクローゼット扉の右端に踏み切った。

扉の中央に飛ばなかったのは、回転する物体の中で運動した時に働く擬似的な力、コリオリ(りょく)を相殺するためだ。

つぶれた球体の形状を持つ小惑星ベスタは11分49秒という短めの自転周期で、中心付近の居住空洞に弱い人工重力を生み出している。見えている方向に飛ぶと着地点がずれてしまうのだ。だが、この小惑星で生まれたカナメにとって、自分の部屋に働くコリオリ(りょく)を把握するのは一桁の足し算よりも楽な作業だった。

頭に描いたイメージの通り、部屋に弧を描いて飛んだカナメはクローゼット扉の中央に手を当てて運動を止めると、扉の表面に浮かぶ木目を撫で、何度も押して艶が出ている部分に体重をかける。

手のひらに扉の内側に張り巡らされているCNT(カーボンナノチューブ)製のワイヤーが動くかすかな振動が伝わると、クローゼット扉は右上の隅を軸にして、蝶の羽のように斜めに持ち上がって開いた。重力の小さな小惑星帯では、このような圧縮伸張構造体(テンセグリティ)のロータリーヒンジが好まれる。踏ん張らなければ使えない片持ちの蝶番や、扉の重さが必要な引き戸はトラブルの温床だ。

カナメは奥の壁に張力で張り付けた上下ツナギの作業服を手に取ると軽くジャンプして、ゆっくりと落下しながら両脚をズボンに通し、上半身の部分を袖で胴に巻きつけた。それから寝ている間にずれた肌着のメッシュテープを留め直して、手のひらに浮かべたヴィジェットの鏡に顔を写して、このまま工房に行っても大丈夫かどうかを確かめる。

ねぼけた様子の瞼は工房に行くまでの間にはっきりするだろう。右の側頭部から突き出している真っ赤な髪の毛は工房でヘルメットを被れば気にならない。髭は剃っていないが、触らなければ分からない。

「よし、いける」

カナメは、自分を納得させるように頬を叩くと、作業服の太ももに救急キットとインプラントのバッテリーの入った小物入れを貼り付けた。

クローゼットの壁を蹴って、9時4分と時刻の描かれた窓へと――実際にはコリオリの力を計算に入れて表示している窓の上枠を狙って飛んだ。先ほどとは異なる弧を描いて部屋を横切ったカナメは窓をずらして自分の体が通り抜けられる分だけ開けると、30メートルほど下の道路を見下ろした。

窓枠に手をかけて身を乗り出したところで、カナメは通りを挟んだ反対側から呼びかけられた。

「ちょっとあんた!」

向こう側の窓から、こちらに手を振っていたのは釘山のおばさんだった。世代は第2。ベスタの居住空洞を作り上げた大先輩のベルターだ。

「おはようございます」

「まさか飛び降りようってんじゃないだろうね」

釘山おばさんはこわばった顔をカナメに向けると、ひょろ長い指で階下を指差した。人工重力のない環境で成長期を送った第3世代にとってこの高さは命取りだ。しかし地表の2Gジムで運動する習慣があるカナメたち第5世代にとっては、ちょっとしたスリルを味わう程度のジャンプでしかない。

「ご心配ありがとうございます」

笑ってそう言い残したカナメは、腰に巻き付けていたツナギに袖を通すと窓枠を蹴って飛び出した。

 * * * *

カナメは両腕を広げると、作業服にたっぷりと風を入れて落下速度を殺した

カナメは両腕を広げると、作業服にたっぷりと風を入れて落下速度を殺した。

もしも空気抵抗のない状態で30メートルの高さから落ちると、0.2Gの居住空洞でも最終速度は時速40キロメートルに達してしまうからだ。第5世代でもそんな速度で落下すると無事では済まない。

胸元から入った風が袖から抜けていくように腕の角度を調整したカナメは、滑空しながら自分の住む世界を見渡した。

居住区を一言で表現するなら、幅2キロ、長さ16キロメートルの峡谷のような形をした洞窟だ。地球なら川が流れている底の部分にはセメントで舗装した地面が横たわっている。

小惑星のほぼ中心にあるこの洞窟は、ベスタ地表のクレータードームに入植した第1世代が地震波測定で発見し、50年かけて整備してきたものだ。

貿易で財を成した第1世代は火星からボーリング機材を買い入れると、220キロメートルの竪穴を掘って地中の洞窟に辿り着いた。穴を掘る過程で成長した第2世代たちは、洞窟の穴を全て塞ぐと、一気圧の大気を満たした。それから赤道に横向きの核融合ロケットを取り付けると、30年がかりで弱い重力を手に入れたのだ。

穴を掘り、穴を塞いだベスタ市民は、心の底から重力を求めていた。

重力があれば丸鋸昇降版(テーブルソー)に材料を置ける・・・

台鉋(プレーナー)に載せた材料が浮き上がってしまう心配もない。

重力があれば、ボール盤に置いた材料は水平になってくれるし、削り屑がいつまでも宙を舞うこともない。

重力を無料の真空のように享受している地球人たちには、これがどれだけありがたいことかわからないだろう。重力の働く床や地面は貴重なリソースなのだ。

第3世代は、居住空洞と名づけた洞窟が、寿命を最大限に伸ばす0.2Gになるよう、自転速度を11分49秒に決めた 。地下125キロメートルのところに発見した洞窟は地球と同じ1Gになり、地表部のドーム都市の天井には2Gの人工重力が生まれることになった。

早い自転速度は、ベスタの港にも有効に作用した。赤道あたりの自転速度は秒速1565メートルに達するので、ベスタの重力を振り切って、火星や木星圏にどんな重いものでも送ることができるのだ。

無重力から2Gまでの全ての重力と、与圧空間から真空までの環境を自ら作り上げた小惑星ベスタは、オーダーメイドの建築部品産業を花開かせた。

遺伝的アルゴリズムが決めた複雑な窓を壁に埋め込むパッキンや、特注のネジやドアノブといった小さな部品はもちろんのこと、シャワー室からキッチンまで備わったプレハブ居住スペースのような複雑なもの、果てはドーム都市を支える数キロメートルの炭素鋼骨まで、頼まれれば何でも作るベスタは、建築惑星とまで呼ばれるようになっていた。

滑空するカナメが眼下に眺めるメインストリートにも、ベスタの産業がよくわかる光景が広がっていた。

建物はどれひとつとして同じ形のものがない。屋根や壁の材質、そして工法もまるで異なる建築物が所狭しと立ち並んでいた。これだけ無秩序だとスラムに見えかねないところだが、個性ある建物は全て入念に手入れされていることがはっきりと伝わってくる。特に窓には個性が表れていた。全ての窓が異なるサイズ、異なる縦横比で作られているのだ。よく見るとガラスの色も反射率も異なるものが使われていた。

あらゆる場所から建築部材を受注しているおかげで、居住区には試作品と在庫が溢れていた。金星大気用の耐熱耐食シリコンガラスや、角度によって不透明になる月面都市用の宇宙線防止ポリカーボネートまで、この太陽系で窓ガラスに使う透明な板はなんでも手に入る。

こんなふうに、居住空洞にはなんでもあった。狭いことだけが玉にきずだ。

着地する場所に誰も歩いていないことを確かめたカナメは、正面に建つ市庁舎を取り囲むテラスに目をやった。柔らかな造形のテラスを覆うモザイクタイルはカナメの仕事だ。カナメはこのモザイクタイルに、宇宙ヨットの窓に使うグラフェン格子ガラスを使った。しかも調色せずに、グラフェン繊維の向きを変えて構造色で鳥と葉の絵を描いたのだ。

仕事を発注した石鎚(いしずち)市長は、第3世代たちが慣れない重力の下で手掘りした岩の造形を引き立てるカナメのデザインを喜んでくれた。二十世紀初頭のスペインという地域で活動した有名な建築家が造った公園のようだと褒めてくれた。

ライブラリで検索すると、市長の口にした建築家はガウディという名前の男性だということがわかった。

カナメはガウディが逆さ吊りの模型を作ってアーチの――カナメには重量物を支える構造体の意味がわからなかったのだが――微妙な曲線をなぞり描いていたというエピソードを知って、妙な親近感を覚えた。余った部材で居住区を作り上げていくとき、カナメたちは(おもり)をくくりつけたCNTの紐を垂らして、場所ごとの重力垂線を読み取るのだ。

風をはらんだ繋ぎを一振りしたカナメは脚を前に振り出して、近づいてくる地面を見つめた。3、2、1――いまだ。

靴底のグリップで敷石をとらえたカナメは上体を丸めて、合気道という体術の受け身で落下の衝撃をやわらげた。

カナメらベスタ市民は無重力から低重力、そして2Gという高い重力を行き来するので、基礎教育で合気道を習っているものが多い。

転がった勢いを利用して立ち上がったカナメが工房に向かう路面車(トラム)の停留所に向かって歩き出すと、ついさっき確かめた市庁舎のテラスから声が飛んできた。

楔戸(きっと)さん!」

見上げると、石鎚市長がテラスの手すりから身を乗り出していた。長い髪の毛を頭の上で団子にまとめ、明るいグレーのスーツを身につけた市長は、ブリーフケースを高く掲げてカナメに振った。ちょうど登庁するところらしい。

「おはようございます」と返したカナメを市長は手招きした。

「上がって来られるかな?」

「30分待てますか? 工房を開けなきゃいけないんです」

市長はカナメが行こうとしている工房のあるストリートの奥に顔を向けると目を細めた。

「工房開けるだけ? 誰か他にできない?」

「今日は当番なんですよ」

困った顔で市長が腕を組む。どうにかならないかと言いたいのだろうがどうしようもない。10分もしないうちに、工房の前には職人と市民たちがやってくる。鍵ならオンラインでも開けられるが、工房の機械を起動する電子署名はカナメの生体チップに埋め込まれているのだ。市長が顔をしかめると、年のわりに若々しい顔に皺が刻まれた。

「急いで戻ってきますので――わっ!」

言いかけたカナメの前に、オレンジ色の作業服を着た女性が飛び降りてきた。工房仲間の鋸田(のこた)キサゲだった。

キサゲはカナメに「よっ」と手を挙げると手すりからこちらを見下ろしている市長を見上げた。

「あ、市長だ。おはようございます」

おはよう、となおざりに返事をした市長はキサゲの顔をじっと見てから言った。

「鋸田さんですよね。昨年の設計部門で優秀賞を取った」

「はい」とキサゲは頷いて、二の腕を叩いた。「今年は加工も取りますよ、見ててください」

「期待してるよ。それで、ちょっとお願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「楔戸さんの代わりに、工房開けてくれない?」

キサゲは目を丸くしてカナメを見た。

「いいけど、どうしたの?」

カナメは肩をすくめる。

「知らない。市長が来てくれって。で、お願いできる?」

「いいけど貸しね。ランチ1回」

キサゲが差し出した指先にカナメは指を触れさせて鍵を転送した。鍵の情報を掌の上に浮かべたキサゲは、カナメを睨んだ。

「今日の話だったの? もう開ける時間じゃない!」

「そうなんだよ、でも――」

「でもじゃない!」

キサゲはちょうど通り過ぎて行ったトラムを追いかけて、後尾ステップに飛び乗ると五指を広げてカナメを振り返った。

「ランチ5回ね!」

「5回って……」

遠ざかるトラムにため息をついたカナメは市長を振り返った。

「ギャラは出るんですよね」

「楔戸さん次第かな。とにかく上がってきてよ」

そんな勝手な、と言いながらカナメは助走をつけると2階テラスに飛び上がった。軽々と手すりを乗り越えたカナメに、市長は拍手した。

「やっぱり飛ぶねえ。さすが第5世代」

「市長だって若いでしょう」と言いかけたカナメは、はじめて間近に会う市長の顔を 見上げ・・・、その言葉を飲み込んだ。

「……無重力育ちだったんですか」

「知らなかった? 80歳になるの。この洞窟に来た日のことも覚えてるよ」

長い脚を振り出して市庁舎へ歩き出した市長を、カナメは慌てて追いかけた。彼女は第2世代だ。

 * * * *